Wednesday, September 13, 2006

テレビのない生活。(9月11日の日記)

私は引越しをしてからテレビを見ていません。
テレビのアンテナもつないでおらず、ビデオだけに使おうと考えています。
私の情報源はラジオ。ラジオ生活です。
家でインターネットがつながったら(いよいよ明日!)、ニュースが読めるしオンラインのテレビニュースが見れる♪

ラジオ生活を始めて、そういえば、オーストラリアに留学中テレビを持っていなかったなぁ、と懐かしくなりました。
高校生まで私は実家にいたのですが、自分の部屋にはテレビはないから当然勉強しながらラジオを聴いたり音楽を聴いたりしていたことも思い出した。(そう、私は「ながら勉強」ができます。だめっていう人もいるけど。)高校三年生のとき、受験勉強をしながらラジオを聞いていて、湾岸戦争のニュースが連日流れていたのを思い出します。

テレビを見始めると、全く興味がなくて何も得るものがなくても、だらだら見続けてすぐに時間が経ってしまう。私は引越し前までニュースを見るという口実でいつもテレビをつけていた。
もちろん、とっても良い番組もあって、ドキュメンタリーやドラマ、映画などを見て感動して泣いたり、教養番組を見て知識が増えたりすることもある。
でも特にクリスチャンになってからは、テレビを長時間見てしまったあとに、聖書を読んだりお祈りしたりする時間がおろそかになったりすると、あぁ~またやっちゃった。。。。と思う(自己嫌悪…)。
テレビは私にとってTemptation (誘惑) でした。

家で聖書を読んだりお祈りしたりする時間をもつためには静かな環境が必要です。神様の声を聞くために。そこで、自分で決心してテレビやラジオを消さなければいけないけれど、テレビは一度つけてしまうとなかなか消すのが難しい。。。

私たちは自由意志が与えられているから、何を選び取るかは私たちの決断にかかっている。
そのとき、神様がわたしたちに求めておられることは何かという基準に従うといい。
それでも決断が難しい時は、神様の御心にかなった方を選び取ることができるように知恵を与えてくださるように祈る。
よい決断を妨げる誘惑があるのなら、それを自分から避け、克服しなければならない。自分では無理だと知ったら、その誘惑から救い出してもらえるよう、神様にお祈りすることもできる。神様は絶対にわたしたちを見捨てないから。

どんなことについて決断に迫られているとしても、このPrincipleにしたがって、いつも「ベスト」を選び取っていきたい。
どんな誘惑に襲われているとしても(誘惑は怒りだったり、イライラだったり、悪い習慣だったり、何かに対する強い執着だったり、苦い思いだったり、いろいろある)、神様に祈ってよりよい決断をしていきたい。。。

どうしてもできないことがひとつだけあります・・・神様、助けてください。
あなたは私の苦しみをご存知です。
どうぞその苦しみを取り去ってください。
その苦しみを克服できるように助けてください。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home